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2011.06.30 Thursday
母のこと
昨日だったか、朝の連続ドラマ「おひさま」を見ていたら、終戦の日だった。
ヒロインが終戦を実感するのが夜、どの家にも灯りが灯っているということ。 母を思い出した。 母は明治末年、大正元年生まれの人。 いつもおかしいくらいに、家中を灯りを付けて煌々としているのが好きだった。 人のいない部屋、廊下、とにかく家中を。 もったいないじゃない、といっても止めなかった。 ある日、ぽろっと言った。 あの、戦中のしのぶように、ひっそりと灯りをつけなければいけなかったのを思い出すから、と。 明るく開けっぴろげ、誰をも受け入れ包み込む、そんな人にとって、明かりをともすのさえひっそりと、声をもひそめ、という日々は耐え難かったのだろう。 今、この時代、省エネ、省エネと気をつけているが、母がいたらどうしただろうか。 きっと、絶対、全ての灯りをLEDに替えてでも明るくしたに違いない、と私は確信する。 そして言ったと思う、「いい時代だねえ、LEDというものがあって」と。 レオン、お母さん代わりにビール吞んでるよ。
2011.06.17 Friday
Good bye LEON・・・
レオンが死んだ。 6月14日19:15、いきなりすっと逝ってしまった。 13才と3ヶ月半。 6月7日、急変しもう自分で歩き回ることさえ難しくなってしまった。 それでも、用を足すときは歩き回り、場所を探した。 人でも、犬でも同じだと思った。 一番最後にぎりぎりの時でさえ残るのは、誇り、というか恥じらいの気持ちではないか。 用を足すことは、自分自身で、できたら人に見せずにすませたい、そう思っているように感じた。 もういいのよ、と子供用のおむつをあてがっていても、亡くなる前日までそれをレオンは貫こうとした。 歩き回る途中で、力尽きてばたっと倒れることがあっても、又起き上がろうとした。 急変したとき、入院させることは息子と話し合って止めた。 せめて、馴染んだ匂いの中で過ごさせてあげよう、そう思った。 レオンの最後が近づいたんだ、と思わざるを得なくなったとき、私は別のことを考えていた。 父が私にチャンスをくれたのだと。 父が亡くなった時、私は父を看取ることが出来なかった。 一番そばにいて欲しかったであろう時間を共有してあげられなかったことは、ずっと私を苦しめてきた。 悲しみが尾を引き、つらかった。 私が東京で人生をリセットし始めてから3年余り、レオンは父のそばで過ごしていた。 ようやく、レオンを引き取ることの出来る住まいを見つけ、レオンは私の元へ戻ってきた。 犬の短い一生の中で4年近くの時間は長かったろう。 そんな想いがいつも心の底にあった。 私が不在の間、レオンは父のそばで父に癒しを与えてくれただろう。 大きな代役を引き受けてくれたのだ。 父を看取れなかった苦しみと悲しみを、父がレオンを通してやり直すチャンスをくれたのだと私は感じていた。 凝縮のその一週間を私は忘れることが出来ないだろう。 私のベッドの上で、私の目の前で、レオンは苦しみの一週間を私のために生き、父のそばへすっと行ってしまった。 グッドバイ レオン。 愛してる、いつも。
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